1.2. 本事業のシステム・コンセプト

 まず本事業で構築すべきシステムのコンセプトをしっかり立てることが重要である。約15年にわたる医療情報学会でのデイスカッション、電子カルテの運用経験例、各地ですでに稼働している地域医療連携システムの利点・欠点などを踏まえたコンセプトは次のようなものである。

 1.2.1. 受診者にとって良質で快適な医療環境の提供

 医療へのITの取り組みはこれまでも数多く行われてきたが、医療担当者がコンピュータをよく理解していないため、あるいは政策的な理由から、実際には現場の声が反映されずベンダーの考えでシステム構築がなされ、稼働してみるとベンダーを益することはあっても煩雑さを増すだけで本末転倒となる例も少なくない。
 「このようなシステムの立案・構築には、コンピュータをよく知る人間と医療の現場をよく理解した医療スタッフとが、密接に理解し合い協調し構築して行く」ことが非常に重要である。

 1.2.3. トップダウン(中央集権)とボトムアップ(地方分権)の結合

 病院規模の電子カルテシステムや地域連携システムなどは、まず全体効率の向上を目的とするので、中央で集中管理され大量データの扱いは得意でも、現場の使い勝手はどうしても犠牲になる。
 一方で診療所などの電子カルテは、まず現場を効率化したいという目的からはじまり、院長がユーザを兼ねる場合が多いので使い勝手の悪い電子カルテなど許されない。大規模施設では朝令暮改に近い頻繁な改良や実験運用は不可能だが、小規模施設では可能で進化の速度は早い。しかし小規模施設で快適に使えても、大規模システムでも使えるとは限らない。

 そこで両者の利点を合わせることができれば理想的である。すなわち「トップダウンの総合的システムに、ボトムアップで作られた個別システムを自由に接続できればよい」。これにより現場ではそれぞれの事情にあった電子カルテを選ぶことができ、かつ全体システムとしても機能する。ユーザの習熟度や事情の変化により、より目的にあった電子カルテへ交換することもできる。

 従って本事業では、東京都医師会として特定の電子カルテを指定するようなことは行わない。各施設ごとに目的に合った電子カルテを自由に選択し(ボトムアップ)、かつそれらが相互に接続して医療情報を共有・交換できるような仕組み(トップダウン)を提供する。

 1.2.4. 自分に合った電子カルテを自由に選択できること

 医療の世界は、施設規模、運営状況、診療科目、ドクターの出身校など、非常に複雑で多様な要素を持ち、医療の内容自体も複雑多岐にわたる。一般企業と比較しても、医療ほど複雑な要素をもつ作業現場は少ないであろう。
 従って画一化された電子カルテがどこの現場でも便利に使えるということはあり得ない。現場の要求に応じ柔軟にカスタマイズできれば別だが、その実現にはまだ多くの試行錯誤が必要となり道のりは長い。画一化された電子カルテを医療機関へ配付しても現場は効率化されずストレスのみが増える。
 それぞれの現場に合った電子カルテを自由に選択して使え、かつそこで扱われる情報がシームレスに相互利用できなければ医療の効率化どころか、逆に大きな非効率を招くことになる。

 「電子カルテを導入した病院へ行くと、医師は画面の方を向いたままで受診者の方を向いてもくれない」というよくある話がこれを証明している。お仕着せの使いにくい電子カルテに人間が使われてしまい、受診者の方を見る余裕もないのである。

 このような状況では、電子カルテへの拒否感と経費の増大を促進するだけで本末転倒となる。本事業では極力避けなければならない。

 1.2.5. 電子カルテの個別化には標準化が欠かせない

 一見矛盾するようだが「個別化には標準化が欠かせない」。すなわち、まったく異なる電子カルテ同士が意思疎通するための標準語のようなものが必要になる。
 このような「医療データ互換のための規格」については、米国の HL7 や日本で開発された MML などの規約があり、これらを使うことが必要である。これらについては後述する。

 わが国ではともすると「標準化のための規格」というと、すべてを規制するためのように解釈されがちであるが、本来はその逆で「個々の自由度を守るためにこそ規格化が必要」ということを忘れてはならない。
 統制経済の元にあった東欧や中国などが、自由経済をとりいれることにより急速な発展を遂げつつあるように、共有基盤という意味での枠組みは必要であるが「枠の中は自由な発想で自由競争できる仕組み」こそが、電子カルテという「発展途上のシステム育成」のため最も重要なポイントである。

 1.2.6. 将来の変化へ柔軟に対応できるシステム構築

 IT 自体がそうであるように、電子カルテや社会的な仕組みも今後絶え間なく急速な変貌を遂げてゆくであろう。しかし、どのような方向へ変化するかを予測することは難しい。
 従ってここで構築するシステムは、このような予測できない変化にも対応できる柔軟なシステムでなければならない。そのひとつとして、システムはなるべく個々の部分が独立して開発・運用できるものとし、それらを標準的な規約で相互接続し、全体として有機的に機能するような仕組みにすべきである。

 そうなっていれば必要な部分のみをすげ替えることができるので、資金の無駄も少なく、迅速に改良を進めることができる。従来の「全体が密結合で固定されたシステム」では、一部の機能を改善したくても全体に影響がでるために改善できず、全体システムから一挙に変更できる時期を待つしかない。従って本事業では、システム全体を「それぞれ独立した機能ごとのオブジェクトを粗結合で組み合わせる」設計とし、身軽にかつ迅速に改良できるシステムとする。

 1.2.7. 補助金はインフラ構築の部分に十分投入すべき

 本システムは東京都医師会が事業主体となり運営してゆくものである。従って補助金の使途は、本システムの離陸を助ける起爆剤として、またシステム全体が安定し円滑に機能するためのインフラ構築のために十分投入するのが好ましい。
 インフラとしては、医療情報の標準交換規約を用いて様々な電子カルテが接続し医療情報を相互交換できる基盤システム、大量のデータを効率的かつ安全に処理できるデータベース、受診者や医療スタッフなどの認証システム、セキュリティーの確保された安定した通信経路などが必要となる。

 一方、各診療所で使われる電子カルテは、基本的にそれぞれの診療所の負担とリスクにより選択・導入・運用すべきである。無償で提供されたものからは、愛着も向上心も努力も生まれない。ただし将来ある程度の余裕があれば、社会インフラとしてのこのような医療連携システムの維持に対する補助もあってしかるべきであろう。